患者に対して、
「もっとしてあげられた事はなかったのか」
「原因は自分ではなかったのではないか」
「これで本当に患者は幸せだったのか」
僕は看護師になって何度この言葉を繰り返してしまったのだろうか。
今回は、僕のある時の出来事と思いを時系列で共有しようかと思う。
読みづらいかもしれないが、ご了承下さい。
楽しくなってきた看護師2年目
看護師2年目の冬。
ルーティーン業務もある程度覚え始めて、先輩看護師には、まだまだ注意されることもあり、戦力にはならないが、邪魔にはならない程度に仕事ができるようになってきていた。
自分が何が解らないかが分かってきて、何がダメで何を注意したらいいのか理解できてきた。
そしてちょうど自分だけで出来る業務も増えてきていた。
それに伴って受け持ち患者の人数も先輩看護師と同じに程度受け持たさせてもらい、その中には、重症度が高い患者も受け持ったりしていた。
任されることに不安もあったが、先輩看護師に相談できる環境もある。
任されることが嬉しかったし、それが認められたかのような感覚が自分にはあった。
先輩とも信頼関係が出来てきていた様に感じた。そんな自分の中に欲が出始める。
「できる看護師と思われたい。」と。
今まで覚えることに必死であった新米看護師の僕に、少しの余裕と欲が出てきて、仕事が楽しくなってきたところだった。
僕の勤めていたの病棟
僕は当時、内科病棟で働いていたため、平均患者年齢が85歳以上はまぁ普通(記憶が曖昧だが)
内科的疾患はもちろん、肺炎や栄養失調などギリギリ在宅で生活していた患者が耐えきれなくなり救急搬送で病院に来る。
それか、介護施設で誤嚥性肺炎になり救急搬送される患者さんも少なくなかった。ADL(自立度)も低かった。
そのため点滴の管理はもちろん、経管栄養も痰の吸引も凄まじく多かった。
急性期の病棟であったが、DNR(延命処置は行わない)の患者が多かった病棟で、
まぁ比較的どこにでもあるような?急性期病棟(内科)と言ったところだっただろうか。
できない後輩看護師
その日の病棟は満床。重症患者多数。
リーダー看護師は3年目の先輩看護師。まだ見習いであった為、ベテラン看護師がリーダーのフォローについてた。
残りはパートのおばさん看護師さんと5,6年目の看護師2名で計4名の1チーム。
僕の受け持ち患者は7人。
うち重症1名。
うち2名は退院調整間近だがセンサーマット(歩行危険な患者のベッド横に敷く踏むとコールが鳴るマット)が頻回に鳴り、
担当患者の転倒のリスクが非常に高い。絶対に転ばすことは出来ない。
うち2名は痰の吸引が定期的に必要な患者(後の患者Kさん)や胃ろう(お腹から栄養を送る)患者もいた。
残り2名はDM(糖尿病)入院で自立はしていたが、勉強会もする必要があり、2年目の僕には業務のタイムスケジュールに苦戦する1日になる決定だ。
「どうしよう。出来るかな。」と不安がよぎったが、
病棟が忙しすぎて「出来ません!」「もう少し受け持ちを軽くして下さい。」って言える雰囲気ではなく、言うのを諦めた。
でも、これが初めてではなかったし、苦戦を繰り返して成長するものだと自分に言い聞かせた。
それより、患者を受け持つ不安よりも「出来ません!」と言った事で
「できない後輩だ。」
と、思われるのが怖かった。
いつもの1日
どんなに忙しくても患者さんの話しは遮らないで最後まで聞く。
それは自分の小さなモットーで、「そんなことより他の手伝いして」なんて言われて、先輩看護師に怒られることがよくあった。
自分は先輩看護師のように「業務」だけできるような看護師にはなりたくない。
患者を蔑ろにするような看護師になりたくない。
新米看護師のモットーというか、小さなプライドを密かに持っていた。
その日は、自分の受け持ち患者に不安を感じながらも、遅れを取りながら何とか業務をこなすことが出来ていた。
うん。まぁ、いつもの1日だ。
やっぱり変だ
当時の病棟では患者の昼食前に必ずラウンドに入る決まりがあった。
昼食前にラウンドしないと、食事介助などで病室に行かない時間ができるため、痰の吸引などを行う。
その日の怒涛の午前中が終盤に差し掛かろうとしていた。既に僕のタイムスケジュールは押している。まずい。
決まり通り、昼食前のラウンドしようと思ったら、点滴が終了した患者がいることに気づき、
急いでヘパ生(血が固まらないための注射)を取りにステーションに小走りで向かった。
その時、廊下を小走りしながら、別の担当患者の病室の点滴残量を横目で確認した。
時間としてはほんの2秒程だろうか。
1人肩が上がっているような、顎が上がっているような、呼吸を大きくしているような…
日差しが強くてよく見えない。けど、さっき訪室したしな。点滴は大丈夫だろう。
そのまま小走りでステーションに向かった。
小走りの途中、自分の頭の中での残りの午前中のタイムスケジュールを組み直す。
ステーションに戻って、終了した点滴のロックをして、ラウンドで痰の吸引をして、胃ろうの準備をして、食事介助をして…
そんなこんなで、ステーションに到着すると先輩看護師に呼び止められ、申し送りをされる。
自分の担当患者の検査結果と今後の方向性について先生と家族が話し合うという内容。
自分の業務が押していたため、先輩に急いでいるアピールをするが、なかなか終わらない。
急いでくれ。仕事が押しているんだ…。
5分程でやっと申し送りが終わり、小走りで点滴を止めに病室に戻る。
その途中、さっきよく見えなかった担当患者の点滴残量を小走りしながら横目で、行きと同じように確認した。
「あれ、やっぱり変だ」
いつもの1日じゃなかった。
僕はその患者(以下Kさん)を見て、一瞬で情況を理解した。
痰が喉に詰まって、呼吸が出来ていない。
顔面蒼白。口唇は紫色。表情は苦しそうなんてものじゃない。
急いで吸引を行うが、なかなか気道にチューブが入らない。痰で詰まっているはずなのに痰が全然引けない。
すぐに緊急コールを鳴らした。
先輩看護師たちが3人程急いで駆けつけて来る。
僕は先輩看護師に情況を伝えようとしたが、聞かずとも情況をすぐに理解し、
痰吸引を先輩たちが代わりに行うが、全然痰が引けない、Kさんの顔面の色はどんどん悪くなってく。
僕は何もしていないのに手から脇から頭から尋常じゃないぐらいの汗が溢れ出る。
僕は、イヤだ。イヤだ。と、口から出そうになったが、ぐっと堪えた。
痰が引けないまま、Kさんの呼吸が浅くなっていくのが手に取るように分かる。
次第に「もうだめなんじゃないか」という雰囲気が先輩たちから流れたのを直ぐに感じ取った。
イヤだ。イヤだ。さっきまでKさん笑ってくれていたのに。
そんな空気に耐えられず、先輩に代わって僕が痰の吸引を続けた。
しかし、吸引も虚しく、そのKさんは息を引き取った。
僕の担当患者(Kさん)
Kさんは、今回の入院が初めてではなく、肺炎を何度も繰り返し、病院と施設を行ったり来たりしていた。痰の量が非常に多かったのだ。
その度に僕は、担当看護師となっていて、知り合いが入院してくるような気持ちで、入院でKさんが来ると毎回悲しい気持ちになって、心配をし、
退院時サマリー(情報提供書)には、施設宛にたくさん情報を書き連ねた。
もう戻って来てほしくなくて、気づかれないような遠回しの嫌味を書いて、抵抗なんかして。(もちろん師長に直される)
退院の日は、病院に戻ってこないように心から願った。
Kさんは、しゃべることは出来なかったけど声を掛けるとニコッて笑ってくれるような優しい人だった。
僕のことを認識してくれていたか分からなかったが、ニコニコしてくれる表情が好きで、よく話をしていた。
目尻のしわをくしゃっとさせて笑うのが特徴的だった。
ニコニコしてくれるKさんに僕が、一方的に話していて、先輩看護師に「そんなことより他の手伝いして」なんて言われて怒られるくらい
大好きな患者の1人だった。
Kさんは、今回も肺炎で入院となったが、病状が落ち着いてきたため、既に入院前に居た介護施設への退院日が決まっていた。
その日もいつもと変わらず、僕が声を掛けるとニコッと笑ってくれ、直前にも痰の吸引を行っており、落ち着いていた様に思えた。
しかし、その患者さんは来週戻る予定であった介護施設へ帰ることが出来なかったのだ。
カンファ・振り返り
当時の僕は、今回の件で上司や先輩看護師に怒られると思っていたのだが、何も音沙汰なし。
カンファレンスで議題にも上がらず、上司にも声をかけられることもなかった。
それよりも、この件に皆触れないように、ものすごい気を使われているのをひしひしと感じた。
僕は、
「自分のせいでKさんが亡くなってしまった。」
「もっと気づくのが早かったら。」
「あのとき足を止めることができれば。」
「自分に見合わない仕事量を受けてしまった。」
「僕が担当だったばかりに。」
そんな思いが頭の中をずっと巡って、仕事も行きたくなくなって、落ち込んで、食事も喉を通らなくて、。
Kさんを思うと涙が止まらず。僕は看護師に向いていないんだ。辞めた方がいい。
でもそんな事も言ってもいられず。仕事に出勤するが、ずっと頭にその時の後悔と恐怖を抱きながら仕事をしていた。
それが僕の看護師2年目の冬。
その後の僕は。
もちろん、僕自身もこのままでは仕事をしてはいけないと思い、先輩看護師に相談し、プリセプターとともに振り返りをしてもらった。
しかし、振り返りを行っても、同じことを繰り返さない事は出来ても、自分のせいで亡くなってしまったKさんは戻ってくることは無い。
いや、本当に僕は同じ事を繰り返さないのか?
あの日、あの時、僕ではなくて他の看護師が担当だったら‥‥と何度も、何度も、思い返しては後悔するエンドレス。
エンドレスを繰り返してた時に、ふと気づいた。
「あぁ患者は看護師のことを選べないんだなぁ」と。
患者の当日の担当振り分けは、上司が当日の看護師の出勤を確認して行う。
つまり、患者さんは看てもらいたい看護師を選ぶことが出来ない。
もちろん「あの看護師さん嫌だ!」と言えば対応はするだろうが、
大抵の患者は嫌な看護師が担当でも我慢してくれている。
患者は新米看護師よりもベテラン看護師さんに看てもらった方が圧倒的にいい。急性期では特に。
そしたら、Kさんも死んでしまうことは無かったかもしれない。
それなのに自分は、
「できない後輩だと思われたくない」
と自分のエゴで、Kさんを亡くしてしまった。
「自分のせいで患者を亡くした自分のことを他の看護師はどう思ってるんだろう」なんて思いも頭から離れなかった。
もはや自分の中に「患者」は中心にいなかった。むしろ「自分」しかいなかった。
こんな「自分」本意の僕であろうと、患者は担当の看護師を選べない。
患者は僕達に命を委ねることしか出来ない。もはやルーレット。くじ引き。当たり外れ。
でも患者は決まってそんな僕にでも、何かをすると「ありがとう」って言ってくれるのだ。
はじめは、心が痛かった。こんな僕に「ありがとう」なんて。
でも、そんな患者を僕は、もう裏切れないし、良くなって帰ってもらいたい。って思ったし、この想いは嘘ではないなと。
ずっとベテラン看護師に僕の代わりに患者を看てもらう事は出来ない。
なら自分に何ができるのか考えた時に、亡くなったKさんが思い浮び、
「あぁ。この人の死は絶対に無駄にしちゃダメだ」って
ものすごい自分勝手な解釈だが、素直にそう想い、Kさんに言われたような気がした。
この人の事を忘れなければ、自分の中で生きているって、勝手なこと思ったりして。
患者さんが教えてくれたんだ。なんて自分本位に勝手なこと思ったりして。
同じ過ちを繰り返さなければ、Kさんも僕の中で生きるのではないか。それが今できる償いなのではないか。
それからは、僕が看護師に「向いている」「向いていない」という問題でなく、
今まで関わってくれた患者、それから今から関わる患者。
今関わっている患者のために仕事をしなきゃって。少し前を向けた気がした。
僕はその頃から自分の担当患者が施設から再度入院を繰り返すことに疑問を抱き、
施設の現状を自分の目で確認するために病院を辞め、7施設を周り、現在は訪問看護をしている。
あれから数年。もう経験年数は、中堅看護師になり、新人を指導し、教える立場になった。
今でももちろん思い出す。忘れたことは一度もない。少しでも成長できたなって思ってもらえるように。
おわりに
想いのままに書いたので、読みづらかったり、うまく伝わらなかった方は、ごめんなさい。
僕は、今では看護師という仕事に就けて本当に誇りに思っています。
もし、少しでも同じ思いや感じることがある人がいたら自分を責めるだけでなく、
背負って、誓って、生きていく道もあるんだな、と。こんな偉そうには言えませんが、考えるキッカケを共有できたらなと。
[…] 患者さんを殺してしまったと思ってる看護師さんへ。私の話をします。 […]